私たちは、それぞれ「○○ ○郎」であり、「○○ ○子」でありたいと思います。
しかしそのためには、素直に自分自身を感じ取ることを学ぶ必要があります。そして、類似した名称や、何かレッテルを張られたものとしてではなく、純粋に個人的な感覚によって、自分自身を確認することを学ばなければなりません。
官能瞑想では、それが可能であり、更にそれ以上まで到達できます。
各人の官能的、肉体的図式にマッチさせる手ほどきを必要とする場合には、その実行は個人的なものにとどまります。
しかし、だからといって、瞑想するために一人になる必要はなく、愛する人が側にいることは、常にプラスの効果をもたらします。
「オルガスム」の手ほどきについても同じことが言えます。
官能瞑想は、感覚が、完全に自己充足的な状況の中で鋭敏になっていくという意味で、非常に個人的な経験と言えるでしょう。
瞑想においては、すべてがまるで、自分が自己確認の過程に投げ込まれたかのように進行し、そして、この自己確認こそが、人を相互理解へと導いていきます。