2008年12月6日土曜日

身体が交替する錯覚:視覚の交換実験が示すもの


別の人(またはマネキン)に取り付けたカメラの映像をストリーミング表示するゴーグルを装着した被験者は、カメラがつけられている方を自分の身体だと感じることがある、との研究結果を神経科学者が発表した。
しかもこれは、あやふやな、哲学的な意味だけではないのだという。被験者が体験したのは測定可能な生理学的変化だ、と論文には記されている。
オープンアクセス(無料公開)方式の学術誌『Public Library of Science One』に掲載された論文の執筆陣はこの研究について、未来の人間とロボットの協調にとって重要な意味を持つものとなる可能性を秘めたものだと述べている。さらにこの研究は、シンギュラリティー(技術的特異点)を過ぎたら自分の脳をアップロードしたいと夢見る人たちに希望を与えるかもしれない。研究チームが見つけ出したのは、生身の人間ではないものに意識を宿らせる、より良い手法なのだという。

スウェーデンのストックホルムにあるカロリンスカ研究所の神経科学者、Valeria I. Petkova氏とH. Henrik Ehrsson氏はこの論文で、「この研究成果は、産業や臨床で革新的な応用につながる可能性がある」と書いている。「テレロボティクスでヒューマノイド・ロボットに『なる』経験、仮想現実アプリケーションでシミュレートされた身体を自分のものと認識する体験は、ユーザーによる制御、リアリズム、さらには『存在する』という感覚を拡大するだろう」(以下略)
[WIRED VISION]

2008年11月23日日曜日

完全なる覚醒に至る段階

                 ↑
                 ↑
               
              ↑5.意識レベルの向上
              ↑
            
           ↑4.真の嗜好の発見
           ↑
         
        ↑3.習慣の再検討
        ↑
      
     ↑2.客観的情報
     ↑
   
  ↑1.好奇心を起こさせる事件
  ↑

2008年11月22日土曜日

自分自身を意識的に再プログラミングする

我々の嗜好を、知らないうちに左右している意識的、或いは無意識的な一切の要素を取り除いた後、我々は第四の段階に到達する。

この段階において、我々は、教育者や両親、それに付随する諸環境には一切よらないで、純粋に、何が自分固有の本当の嗜好かを発見することにより、自分自身を意識的に再プログラミングするのである。

我々の心の中に、諸々のタブーを生じさせた一切の要素を排除しながら、我々自身の官能を自覚することによって、この意識的な再プログラミングは達成される。

即ち、我々が包含し、且つ包含されている無限と我々の存在とを結びつけている感覚を、最大限に活用することによって、それは達成されるのである。

こうして、いよいよ最後の段階に近づいていく。この段階は、時間と空間の総体的な自覚により、完全なる覚醒を志向する段階が、無限に高まった結果生ずるものである。

そこでは、常に最高の中で生きていくことを可能にする、高次の意識に到達するのだ。

しかし、先ずは最初から始めよう。そして、最初の一歩からつまずかないように気をつけよう!

2008年11月21日金曜日

脳の洗濯

第三の段階。この段階が、恐らく最も重要なものである。

この段階において、人は、今まで体験したことのない事件を前にして、自分の生活環境の中から、今まで受け取ってきた用済みの諸観念を、意識的に取り除いていかなければならない。

我々の行動を支配している一切合切の洗濯、これが第三段階だ。

それは、自分自身で行なう「脳の洗濯」である。

脳の中には、我々の意識的、或いは無意識的な(こちらのほうがよりやっかいで危険でもある)束縛を生じさせてあらゆる要素が、乱雑に詰め込まれているからだ。

要するに、我々の行動と反応の一切を、もう一度ふるいに掛けてみるのである。

そして、どれが教育を受けた結果で、どれが自分固有のものであるかを見極めて、そのうちの教育によるものは、そrが自分の嗜好や奥深い願望に反する時は、取り去ってしまうのだ。

2008年11月20日木曜日

無知蒙昧からの脱却-新たな自覚

今日、我々は、我々を取り巻くすべてのものを、科学的に分析し、明瞭に説明することができ、実験室で生命を創造し、惑星間宇宙を旅し、動物の行動や色を変化させ、電子義眼によって盲人に光を与えることができる。

従って、これらの迷信のすべては、もはや何の意味もない。にもかかわらず、我々はそうした迷信の中で育てられ、教育され、条件づけられてきた。

人間が宇宙に飛び出しているというのに、一方で、新しいローマ法王の選挙が新聞の一面を賑わしたり、オカルト映画が大当たりしたり、乾期に雨を降らせる為の宗教的行進を、アメリカ人が行ったりする理由がそこにある。

こうした状況は、国民を無知蒙昧にすることで、国民があまり多くの疑問を抱かないようにするために、諸政府の周到に練られた政策によって生じている。

情報が与えられれば、意識全体のレベルが次第に向上するにつれて、新しい自覚が生じるだろう。

即ち、我々が当然と思ってきたことが、実は、単に教育によって植え込まれた結果に過ぎないということが、この自覚から生まれてくる。

2008年11月18日火曜日

祖先の精神状態

この時に大事なことは、一切の先入観を持たずに、とりわけ、いつも中傷ばかりをしている人たちの言う悪口に捉われることなく、本当に自分の内心に問うてみることである。

こうした人たちは、新しいものが、自分を今よりも不幸にするのではないかと恐れるあまり、既存のものに疑問の目を向ける勇気を持つことができず、むしろ、新しいものを中傷する方を選んでいる人達なのだ。

気の弱さ、恐れ、不幸、これが我々の祖先である、原始人以来続いている伝統、習慣、迷信にしがみついている人たちの精神状態だ。

原始人にとっては、理解できないものは、すべて必然的に奇跡、神のわざ、さもなくば悪魔のしわざだった。

彗星、黒猫、月食、すべてが悪運をはらう口実となった。なぜならおおよそすべてのものが、善いことか悪いことかの、必ずどちらかの前ぶれになっていたからである。

2008年11月17日月曜日

情報

第二段階は、情報である。一般的に、何かまだ自分が体験していないものがあると自覚するのは、情報に対する渇望を感じさせるような事件に遭遇した時である。

それは、例えば、最も優れた規範や生活方法であると自分たちが思っているものとは、異なる規範や方法で生きていながら、自分たちよりも幸せそうに見える人と出会った場合である。

或いは自分たちが、明瞭で異論の余地のないものと見なしてきた事柄が、突然不確かに見えるような映画や本に出くわした場合である。

つまり、こうした「きっかけとなる事件」、好運な出来事によって、人は、自分とは別の生き方、別の考えがあるのかもしれない、ということを自覚する。

教育によって我々に教え込まれてきた一定の原理に、疑問の目を向けることが、一見破廉恥で、けしからぬことのように思えても、人は、「自分たちの規範」から外れて生きている者たちが、本当に幸福なのか、或いは、彼らの微笑の下に、恐怖や絶望が隠されていないのかどうか、知りたいと思うだろう。

2008年11月16日日曜日

完全なる覚醒に至る段階

官能瞑想は、何世紀にもわたって背負い込んできた、神学的な難解さを取り去って、本来の開花の技法を再発見することこそ、官能瞑想の実践を可能にする道なのだ。

完全なる覚醒に至る道は、いくつかの段階に分かれており、それは定められた順序に従ってのみ、登ってゆくことができる。

実際、最初から一段ずつ登っていかなければ、頂きに到達することはできない。

最初の段階は、自己の現状の「自覚」である。

即ち、自分の人生の平凡さ、目的の不在もしくはその凡庸さ、今までの人生を無駄に過ごしてきたこと、卒業証書、金、理想の伴侶等を追い求めてきたこと、そして、今また社会の中で、いや家族の中でさえ、「不本意な」役割を演じていることを自覚することだ。

こうした不満足の自覚は、他ならぬ現在のあなたのことだ。そうではない?そうでなければ、あなたはこの文章は読んではいないでしょ?

2008年11月15日土曜日

官能瞑想と科学

官能瞑想は、いうならば、神経細胞や「ニューロン」が、各器官からのメッセージを、大脳皮質にスムーズに伝えることを促進することによって、自分を慈しむ心を育み、科学と共に歩みながら、官能の悦びを湧きあがらせることを達成させてくれます。

官能瞑想と科学、この両者は同時に、あるいは交互に、地球的意識を産み出していきます。

この意味において、官能瞑想は、人間の快楽主義を目覚めさせ、アドレナリンとその有害な派生物質が、脳(脳は人間の中枢である)へ運ばれるのを防ぐものと私は考えます。

脳は、感覚および脳自体が、無限大と一体化するために完成され、さらに完成へと進んでいる、複雑な内分泌腺なのです。

その螺旋的発展は、時間と、恐らくはその速度におけるその収縮である四次元へ、人間が至る道を切り開いていきます。

要約すれば、生化学的なメカニズムに基づく官能瞑想は、数分の内に、他人を兄弟とみなし、宇宙的な調和の内に、自分が「創造物」であると同時に「創造者」であることを自覚する日を、垣間見るのを可能にしてくれるでしょう。

2008年11月14日金曜日

瞑想の有益性とは

官能的な瞑想は、あらゆる種類の人々にとって有益であり、特に、現在の時代に生きる人々にとって有益です。

それは、本質的に、肉体の覚醒を通じて精神の覚醒に至ることを目的とするものです。

その目的からいて、それは単なるリラックス技術以上のものであり、他の方法と同様に、血液中の酸素増加を利用しています。

精神の安定効果が非常に高い音楽を聴きながら瞑想すると、その暗示作用によって、次第に心が静まり誘導されていくでしょう。

官能瞑想は、人体各種の生体組織と、それらを構成している各個別細胞の生的機能的な様相を、比較的短時間に大脳皮質に伝える、即ち、「意識化する」という明らかな長所を持っています。

また、官能瞑想は、無限小を、そしてこれは、分子生物学において大変重要なことなのですが、体の一体性と調和した状態を、賛美をもって意識することを目指しています。

2008年11月13日木曜日

瞑想の効力

覚醒の状態は、創造性という実が熟するための豊かな土壌であり、更に人間関係の質を大きく改善します。

瞑想するということは、難しいことではありません。

しかし、まず初めに、自分の感覚を自由に操ることを学ぶ必要があります。

これが短期間のうちに、開かれた意識へとつながっていきます。快感が生体組織の中に浸透するにつれて、神経系、筋肉系の結び付きが深まっていきます。

こうして瞑想を繰り返すことによって、心理的、肉体的な安らぎが得られ、それが、人生に新しい色合いを添えるのです。

このように、官能瞑想は、現代の心理学にも適っており、更に健康をも増進させます。

なぜなら、これによって、精神の覚醒、肉体の覚醒、そして官能の開花がもたらされるからです。

官能瞑想はまた、情緒的な生活を保ちながら、すべての欲求不満を減少させることにより、感性の調整器の役割も果たしています。

また、それは薬物やその他の外部からの介入なしに、新陳代謝の自然な平衡維持作用を制御します。

官能瞑想は、誰でも行うことができます。そして、それは病気の予防や治療に大きな効力を持つものであると、私は信じます。

2008年11月12日水曜日

自己確認から相互理解へ

私たちは、それぞれ「○○ ○郎」であり、「○○ ○子」でありたいと思います。

しかしそのためには、素直に自分自身を感じ取ることを学ぶ必要があります。そして、類似した名称や、何かレッテルを張られたものとしてではなく、純粋に個人的な感覚によって、自分自身を確認することを学ばなければなりません。

官能瞑想では、それが可能であり、更にそれ以上まで到達できます。
各人の官能的、肉体的図式にマッチさせる手ほどきを必要とする場合には、その実行は個人的なものにとどまります。

しかし、だからといって、瞑想するために一人になる必要はなく、愛する人が側にいることは、常にプラスの効果をもたらします。

「オルガスム」の手ほどきについても同じことが言えます。

官能瞑想は、感覚が、完全に自己充足的な状況の中で鋭敏になっていくという意味で、非常に個人的な経験と言えるでしょう。

瞑想においては、すべてがまるで、自分が自己確認の過程に投げ込まれたかのように進行し、そして、この自己確認こそが、人を相互理解へと導いていきます。

2008年11月11日火曜日

官能瞑想すなわち自己確認

官能の完全な覚醒は、残念ながら、一朝一夕にできるものではありません。

というのは、私たちの官能が、感性の抑圧によって退化しているからです。

私たちは、空間の中で体の位置を確認し、また体の中での、身体各部の位置を確認しておく必要があります。

空間の中で体の位置を確認する時、人はそれを、他者との関係において脳と結び付けています。なぜなら、人は次第に環境というものを認識するようになるからです。

自分の器官、四肢、内分泌腺の位置を確認する時、人はそれらを脳と結びつけています。

空間における細胞の位置を確認する時、人はそれを、脳と細胞相互とに結びつけています。

なぜなら、脳自体が既に、体内での自分の位置を、それ自体意識している器官に結び付けられているからです。

2008年11月10日月曜日

官能の覚醒

官能の覚醒は、肉体の覚醒を引き起こし、その肉体の覚醒がまた、精神の覚醒を引き起こします。

官能は、性感と共に快楽の発生源であり、それ故にこそ、長い間、主として西洋文化の中で抑圧されてきました。

しかしながら、快楽は大変自然なものであって、かつプラスになる反応です。

人間性は、この原理の上に構築されており、更には、一般に生物学自体が、この快楽原理の上に構築されており、更には、一般に生物学自体が、この快楽原理の上に構築されているように思われます。

快楽をさける目的で成されるような行為は、意識的にせよ無意識的にせよ、あり得ません。

ところが、この領域では、道徳が不当な(そして許し難い)抑圧として働くので、快楽を得るために、しばしば不健全で、錯綜した道をたどるようになっています。

個人の基本的な欲求が、それを満足させる快楽と直接結び付いているのは、決して偶然のことではありません。快楽は、単に快いものだけではなく、必要不可欠なものなのです。

なぜなら、それは、肉体(そして脳)の新陳代謝の大部分を条件づけ、体の順調な育成をコントロールできるようにするからです。

覚醒した人は、その官能を楽しむ術を心得ています。

2008年11月9日日曜日

肉体の覚醒

脳細胞について言えることは、肝臓や心臓の細胞についても、全く同様に当てはまります。

人体のあらゆる器官、細胞、内分泌腺は、外部および内部のエネルギーの変化を知覚できるように、絶えず、脳と連結されている必要があります。

すべての一般生理学は、「空間的な位置づけ」、ということによって規定されます。

即ち、自己の位置づけを喪失した胃は、自分の役割の一部を忘れ、機能上のミスを犯してしまいます。このミスは、肝臓や膵臓によって必ずしも補われるものではありません。

泳げない人の大部分は、もし自分の体の動きを知ることができれば、恐怖心を克服することができるでしょう。一時的な食欲の低下についても同じことが言えます。

肉体の覚醒に上限はなく、無限に開かれており、そのことは、まったく健康であって、更に自分の能力を最大限に開発したい、と望んでいる人々についても全く同様なことです。

覚醒現象は、一種の爽快感をもたらします。

なぜなら、その感覚が、筋肉、内蔵、呼吸器系、更には、細胞のレベルでさえ感じ取れるからです。それは、ひとつの生理的な状態です。

2008年11月8日土曜日

感性と官能の関係

官能の著しい改良がなければ、絶えざる心理分析のいかなる進歩も、当然のことながらあり得ません。

なぜなら、抽象的な思考を除けば、外的および内的環境からのメッセージの性質が、あらゆる精神的活動の基礎になっえいるからです。

植物、動物、人間、つまりすべての生命体は、感覚系を備えています。それ無しには、生命は存在できないでしょう。

「感性(affectivite)」は、個人生活の情緒的な側面全体を支配する、深層意識です。感覚的なメッセージは、特に深く入りこみ、あるものは記憶されます。

感性は、ほとんどの知的活動の基盤を成しています。それは、私たちの深層意識に深く根を下ろしています。

つまり、私たちの理性は、こうした深層意識に対して、わずかの自律性しか持っておらず、従って、私たちが是非必要としている、エネルギーの秩序回復のためには、官能を利用する方法が大変重要となってきます。

2008年11月7日金曜日

「官能」

「官能(sensualite)とは、環境を知覚する能力を意味します。

感覚的なメッセージは五感によって捉えられます。即ち、視覚、聴覚、嗅覚、触覚、味覚、これに更に、「テレパシー」と呼べる、一般的には未だ未知の知覚も加えることもできるでしょう。

これらの感覚による触知は、快楽の発生源であり、そして脳と結びついています。脳は、あたかもコンピューターのごとく、伝えられたイメージを用います。

官能は、質的にも量的にも、正確な情報を産み出す基礎材料となるので、感覚の中でも最も重要なものです。

エネルギーの、良好な心理的伝導の問題を解決するために、無数の治療法が生み出されてきました。

例えば、精神分析療法だけでも、リラックス療法、グループ療法、アルファ療法等があります。

ところが、今日に至っても、脳の意識を細胞レベルと結びつけるために、純粋な官能的エネルギーを用いることによて、肉体の覚醒から精神の覚醒に至る方法は、存在していません。

しかし、それこそがキーポイントなのです。

2008年11月6日木曜日

精神的覚醒の臨床的概念

精神的な覚醒とは、脳のエネルギーを伝導する各神経機能を、常に自由に操れる、という状態をいいます。

正確な意味において、覚醒状態に達した人間は、知覚した感覚的メッセージの内容を分析するために、いつでも絶えず、これらの様々なエネルギー伝導経路を、フルに動かすことができます(しかし通常人は、覚醒時のかかる生理的な状態には至っていません)。

「絶えざる心理分析」は、外的および内的環境の知覚によって感受されたメッセージと、その心理的処理との間の相互関係の質に、影響を与えます。

「知性(intelligence)は、その心理的な処理の水準に左右され、つまり、遺伝子コードによって決定されているので、その限度以上に発展させることはできません。

とは言っても、知性は非常にわずかしか開発されていません。

その活動には、特にそれが、内界と外界の知覚に関わる場合には、質のプログラム化を必要とします。

2008年11月5日水曜日

心と体、「精神」と「物質」の相互関係

えば、様々な行動を支配する神経中枢も解っています。

また、一定の状況において生じた感情により、天然のモルヒネ(エンドルフィン)が、皮下層に送られることも解ってきました。

その生理的な機能を抑制する特性を知ることによって、観測された行動から、脳の活動を解明することも可能なのです。

種々の生化学的な交換の中に、あまりにも素晴らしい自動調節機能が見られるので、次第に人間の脳を、自動平衡機能を備えた、一つの社会構造として考えるようになってます。

そしてそれ故に、様々な生理的な障害に対する唯一の解答は、心と体の相互関係、即ち、「精神」と「物質」の相互関係の中に見い出し得る、ということが分かってきたのです。

この二つの観念を対立的に規定することは、最大の誤りです。

2008年11月4日火曜日

物質と精神の対立

かつては、物質は、精神と対立するものと考えられてきました。

しかし、今日では、神経外科および計量心理学の著しい発展により、一般的に頭脳の活動は、より私たちに親しみ易いものとなり、その神秘的な性格は払い落されてきています。

現在では、脳の機能について、かつて精神病理学や精神分析学によって得られたものよりも、もっと多くのことが解明されています。

この研究は、止むことなく発展し続けていますが、一方で、人々が少し不安に陥っているということも事実です。

というのも、彼等素人は、断片的知識から結論を引き出す、という誤りを犯すからです。

しかし、ためらいや当然起こりうる失敗をも乗り越えて、これらのパイオニア的研究者たちのことを、やはり信頼し続けるべきです。

なにしろ、私たちの文明が始まって以来、初めて、科学と精神作用が同じ道を歩んでいるのですから。

この両者は、本質的に、精神と物質、精神と脳とを、不可分一体とする関係にあります。

2008年11月3日月曜日

科学の発達と大衆の思考

ほんの三十年前ですら、情報科学が世界を一新させるとは、誰も信じなかったでしょう。

医学や哲学と同様、技術の分野においても、第二次世界大戦以後の世界の様相は一変しました。

人間の精神は、大変な進歩を遂げたのです。というのも、人間はその環境を、ますます深く認識し、その環境の条件を少しずつ形成したり、コントロールしているからです。

また、種々のエネルギーを発見し、新技術の実験にも取り組んでいます。

しかも、これらのことが、あらゆる領域で起こっています。

一般大衆の施行も、より知的で、洗練された自由な生活という発想の下で、様々な文化的教養を身につけることによって改善されています。

しかし、もっと驚くべきことは、物質的概念の発展です。研究者たちの努力によって、物質は息づき、人間に親しみやすいものとなり、精神化してきています。